習作その2



シャーリー 2001.8〜執筆中  我人 作

1 ウイルス
2 ロボット


☆ウイルス

 木立の緑もすがすがしいワシントン郊外のミニタウン。上空から見下ろす一羽の小鳥の目に、めざす古木が映る。
 クレイトン・ジュニアハイスクールから帰宅したジミーは、まっさきに裏庭の動物用ケージに向かい、寄り道して買ってきたペレットを中に差し入れた。ジミーは一度二度上空をぐるりと見渡したあと、また急いで家の中に入っていく。カバンをぶら下げたままキッチンに向かい、冷蔵庫からチョコレートアイスを皿に山盛りにする。今日はお手伝いのロンダの定休日で、彼女のいない日は決まってそうしている。ロンダはジミーの父親のジェイから、ジミーがアイスを盗み食いしないようにと厳重に注意されていた。なぜならジミーはときどき夕食を食べないことがあるからだった。父親のジェイは「ワシントン・タイム・ポスト」の社会部編集員で、ウィークデイの帰宅は深夜になることが多く、ときには帰らないこともあった。
 裏庭に面した自分の部屋に皿を持ったままかけあがり、「ハイ、シャーリー」と声をかけパソコンの電源ボタンを押すと、そのまま窓辺のソファにドスンと腰掛けた。チョコアイスを口いっぱいにほおばりながら10メートルほど離れた古木の周辺を観察する。やがて一羽の小鳥が、葉をかきわけるように古木の枝を伝いながら降りてきた。
 小鳥の目には、いつも利用させてもらう巣箱のほかに、人間の住む大きな「巣箱」が視野を覆っている。窓際にいつもの少年の顔が見え、さらにその奥では四角い小さな得体の知れない窓が奇妙な絵を映し出している。
 小鳥が巣箱に入ったのを確かめると、あいかわらずチョコアイスをほおばりながらパソコン画面の前に座りなおした。画面にはウインドウが開かれ顔写真とメッセージテキストが表示されている。
「ハイ、ジミー。最近調子はどう?」
 ジミーは「悪くないね」とキーを叩く。
「じゃ、また後でね」
 ウインドウのメッセージはそう応えると、自動的に閉じた。
 ジミーが組んだプログラムは、このオートメッセージだけでなく、かなり高度なものもある。そのうちのひとつは、去年のワシントン市内の「15歳以下プログラミング・コンテスト」で優勝している。毎年優勝するのは15歳の最年長者ばかりだったが、13歳での優勝者は過去10年で初めてのことだった。後ろの棚に、その栄誉のトロフィーが飾られている。すぐ横にはいちばん褒めてもらいたかった母親の写真(ジミーは膝の上で抱かれている)が立てかけてある。
 メールが届いたことを知らせるジングルが鳴った。リーからである。
「チョコアイスを食べ終えたら、秘密基地に来てくれ」
 先日、映像入りのチャットを試したときに、ちょうどアイスを食べていたのをリーに見られてしまったのだ。それ以来、学校でもメールでも「アイス」が前置きに出るのだ。リーによると、チョコアイスは「ガキ」の食べ物らしい。

 ジミーとリーの秘密基地は、町からワシントンDCへ通じる国道の、町からちょっと外れた森の中にある。熊が出没するということで、特に子供は立ち入り禁止区域になっていた。この森は3年ほど前から禁猟地区に指定されたため、以前、猟仲間たちの休憩所に使われていた小屋を拝借して秘密基地にしたのだ。もちろん、ジミーとリー以外は誰も知らない。
 国道脇に自転車を倒し枝葉でカムフラージュしてから、ジミーは森へ踏み込んだ。国道から50メートルほどの大木に囲まれた空間に小屋がある。大人5、6人ほどが利用していただけあり、ふたりにとっては広すぎる空間である。リーは先に着いていた。
「ロンダにはどう言ってきたんだい?」
 リーは座ったまま高く手を上げてそう聞いた。その手を思い切り叩いてジミーは床に腰を下ろす。
「今日は定休日さ。だから、目いっぱいチョコアイスを食ってきたさ」
 リーは首を左右に振りながら苦笑し、ジミーのズボンの一部を摘み上げた。チョコレート色のシミがこびり付いていた。小屋の外では、鳥たちがどよめくように一斉にさえずりだした。
「ほら、鳥たちもあきれてるぜ」
 ジミーは相手にせず質問する。
「緊急招集のわけは何だい?」
「こいつを手に入れたんで、君に渡すために呼んだのさ」
 リーの手にはフロッピーディスクが握られていた。リーがコピーしたのだろう、ラベルはついていなかった。
「何だい、そいつは?」
「ある有名なハッカーのノウハウが入ってるんだ。誰でも手に入れられる代物じゃない」
「どうやって手に入れたんだい?」
「ある日本のレンタルサーバーを覗いていたら、妙なファイル名を見つけてね。謎のハッカーの裏ハンドルネームが入ってたんだ。どうやら、そのサイトの運営者は気づいてないようだけど、勝手に空きスペースをハッカーたちが利用していたらしい。でも2日後には跡形も無く消えていたけどね」
「で、そのファイルが、そのフロッピーに入ってるってわけ?」
「いや、そのファイルの中から出どこがわかって、ハッカーの溜まり場を見つけたんだ。いやハッカーとは表向きで、裏はクラッカーそのものさ。驚いたよ、世界中のクラッキングデータが一覧できるんだぜ。例のペンタゴンの騒ぎだって、彼らの仲間内の仕業なんだ。それに外国の国防システムだって」
「リー、それってかなりヤバイよ。CIAケースじゃないか」
「だから、ここで会ってるんだろ。CIAやFBIに目を付けられたら一巻の終わりだからね。とはいえ、このフロッピーの中身自体は違法性のあるものじゃない。世界最高のハッカー技術の一部を見れるだけでもすごいだろ。プログラムファイルが入ってるんだけど、僕にはわからないから、君にと思ってね。もちろん、これを使ってハッキングしたらヤバイかもしれないけどね」
 リーの言うとおり、見るだけであれば違法性があるわけじゃない。プログラミングの腕を磨きたいジミーにとっては、向学の意味で非常に興味のある対象である。ふたりの間で堅く口を閉ざすことを約束して、ジミーはフロッピーを受け取った。
 突然、うなり声が小屋の外でしたかと思うと、小屋が音を立てて軋んだ。
「熊だ!」
 リーが声を押し殺しながら叫ぶ。一瞬にして空気が凍りついた。ふたりはそれぞれ落ちていた木切れを手にした。幸いドアの方からは物音がしない。熊は裏手にいるらしい。そっとドアに近づき、ノブを回す。二度目の激しい振動が襲った直後、ふたりはドッと外に飛び出した。外に出ると、周囲をまず確認した。すると、小屋の横からのっそりと灰色グマが姿を現した。それでも、こちらはふたり、武器もある。ジミーとリーは目を合わせて威嚇行動に出る構えをした。ところが、クマの陰から小さな動物が顔を出したのだ。
「まずい! 子連れだ!」
 ふたりは一目散に逃げ出す。それでもクマはあきらめずに追いかけてきた。
「なんでだよお、追ってくるぜ」
「バカ、おまえのチョコアイスのせいだ」
 国道はすぐそこで、ふだんなら道路には近づかないクマも、子連れのせいか甘い香りの誘惑に負けたのか国道まで追ってきた。間一髪で自転車にまたがり、飛ぶように町へ引き返した。クマは国道にまで顔をのぞかせたものの、あきらめて森へ戻ったようだった。

 ジミーの父親ジェイは、家に電話を入れたがジミーは出ない。留守番電話にメッセージを録音した。
「ジミー、パパだ。悪いが今日も残業になる。12時までには帰れると思うから、先に寝ていなさい。夕食は済ませて帰るから用意はいらないよ。ピッツァも飽きたしね。明日は朝からロンダが来てくれるから、一緒に家で夕食にしよう。じゃあ、またね、愛してるよ」
 受話器を置くと、ジェイはしばらく考え込むように目を伏せた。残業は8時までで、その後デートの約束をしていた。
 ジミーの母親シャーリーが事故死したのは7年前。買い物を終え家路の国道を走っていて、反対車線の大型トラックと正面衝突したのだった。国道に突然出てきた小鹿をよけようとしてハンドルを切りすぎ、反対車線に飛び出してきたのだ。トラックもろともシャーリーの車も国道から森に落ち大破した。後から来た車の人が、まだ息の残っていたシャーリーを引きずり出し病院まで運んだが、内蔵破裂による失血で間に合わなかった。
「ジェイ、また思い出してるの?」
フレンチレストランの窓から見下ろすワシントンの夜景にジェイはジッと目を留めていた。円卓の正面には、ブロンド髪で瞳がブラウンの美女がジェイを見つめている。
「奥さん? それともジミー?」
ジェイはゆっくりと視線を移動し、美女の瞳を見つめた。
「シャーリーじゃないよ。君こそもう忘れるべきだ、ティム」
 美女の名はティム・グレイシー。センチュリー財団の庇護下にある遺伝子研究所員である。大学院での専攻は生物学と地球環境学だが、研究所では優性遺伝子研究をしている。ふたりの出会いはシャーリーの事故直後である。シャーリーを病院まで運んだ人がティムだった。もう少し早く到着すれば助かったかもしれないと当時の医者は言った。ティムは、シャーリーを車に乗せるのに手間取ったことで、自分の責任を強く感じてきたのだった。ましてや7歳の子供がいることを知ってからは、なおさらだった。
「ちがうんだ、今夜は残業だとジミーに嘘をついたことさ」
 ジェイは、当初からティムとの付き合いをジミーにもオープンにしてきたが、ジミーはティムを好んでいない。一度ジミーとじっくり話をしたことがあった。ジミーは心の奥底で、ティムが母親の死を招いたと思い込んでいることがわかった。もちろんジェイは、ティムがシャーリーを助けようと努力したことを説明したが、子供心には詳しい理屈はわからない。単に、母親の死に関係したティムが身近に現れたことを、しかも父親と親しくしていることで混乱するのだった。ジェイは、そんなジミーの心の内を理解できるようにも思う。しかし、ティム自身はまったくの潔白であり、それどころか親子で感謝しなければならない立場なのだ。
 ティムと再会したのはシャーリーの事故から4年ほど経過したころだった。ジェイの取材先にティムが在籍していたのだ。そのときティムは離婚をした直後だった。偶然の出会いは、次第にお互いの寂しさをいたわる関係になっていく。付き合いはじめて半年ほど経ってから、ティムをジミーに会わせた。そのとき、母親を助けようとしてくれた人の話を覚えているかとジミーに聞いた。それがジミーの拒否反応のはじまりである。ジェイはティムがすばらしい人であると伝えたかったことが、かえって仇になってしまったことを後悔した。それ以来、たまに3人で食事をすることもあったが、ジミーだけはいつも沈んでしまう。ジュニアハイスクールに通うようになってからは、男女の関係も理解できるようになり、大人の愛もわかるようになってきた。しかし、それでもティムと会うと心から笑えないシコリがジミーには残っている。
「あたしは気長に待つわ」
 ティムはジェイの手をやさしくなでる。
「おばあちゃんになったら困る」
 ジェイは微笑みながらジョークを言う。
「あら、あなたもおじいちゃんになるわけでしょう? お互い歳相応ならいいかも」
「孫ができて、こちらのおばあちゃんはティム・グレイシーさんだよ、なんて紹介してもいいのかい?」
「あなたにくっついていれば、グランマーと呼んでくれるんじゃない? 勘違いして」
 周囲の上品な静けさにもかまわず、大声でふたりは笑い合う。
「ところで、例のロボット研究所を取材したいのだけど、紹介してもらえるかい?」
「そう・・・ええ、いいわよ。RIL研究所なら知り合いは2、3人いるから。明日にでも連絡してみるわ」
 ためらいがちに応えるティムの気持ちは、ジェイにもよくわかる。しかし離婚という過ぎたことを引きずってほしくないという意味でも、あえてティムに橋渡しをしてほしいとジェイは思う。
「ありがとう。さて、ビジネスの話も済んだことだし、もっとプライベートな話をふたりきりでするというのはどうかな?」
 意味ありげなまなざしで答えたティムの後ろに立ち、ジェイは椅子を引いた。

 父親からのメッセージを聞いて、ジミーはいつものように宅配ピッツァで夕食を済ませた。帰宅後、さすがに町の中まではクマも追ってはこないだろうと思いながらも、家は厳重に戸締りし、シャワーを浴びて着ていたものはすべて洗濯機に放り込んだ。身体からチョコの匂いが抜けたことを確かめ、ようやくジミーは人心地がついた。くつろいだバスローブ姿のままで、フットボール中継を見ながらビーフたっぷりのピッツァをひとりで平らげた。食後のチョコアイスは、さすがにやめておいた。
 午後9時の時計を確かめて、ジミーは自分の部屋に入る。リーと連絡を取ることになっていた。パソコンを起ちあげ、インターネットに接続する。すでにリーはチャットルームで待っていた。
「09:04>***SHIRLEY has joined channel #dragon
09:04>bruce<生きてたか?
09:05>shirley<残念だろうけど、どうやら無事のようだ
   」 さっそくリーが話し出した。「bruce」というのはリーのハンドルネームである。彼は大のブルース・リーファンで、週に2度、截拳道(ジークンドー)道場へ通うほどである。中国人の血を引いているせいもあり、今の彼にとってはブルース・リーは「神」と同格の存在なのだ。ジミーのハンドルネームはパソコンの名前のまま「シャーリー」である。
「09:05>bruce<そりゃ残念だ。ところで例のファイルは試したかい?
 09:05>shirley<そうだ、すっかり忘れてた。ちょっと待って今持ってくる
 09:07>shirley<OK、今フロッピーを開いた
 09:08>bruce<最後の方にあるhappy.exeを実行するだけだ
 09:09>shirley<インストール完了
 09:09>bruce<ウインドウが開いてダイアログが出てるかい?
 09:09>shirley<IDは?
 09:10>bruce<好きな文字でいい。CHOCOでもね(笑
 09:10>shirley<こいつは、ライブラリだね。Cの
 09:10>bruce<そう。コメントを読めば君ならわかるだろう
 09:10>shirley<ざっと見る限り問題なさそうだね
 09:11>bruce<じゃ、後はプログラムの天才君に任せる
 09:11>shirley<はっきり言っておくけど、CIAが尋ねてきそうなものだったら
 このまま捨てるよ。そのときは、君もコイツを抹消するんだ、OK?
 09:12>bruce<OK。・・・ところで、MKとの関係を教えろよ
09:12>shirley<君が先を越さなければ、今度のパーティで誘うかもね
    」  リーは突然話題を変え、クラスメートの女子生徒の名を出した。メアリー・キングがジミーにKISSしたことをからかっている。ジミーは適当に答えておいた。この後、30分ほどクマと秘密基地の話題で盛り上がったが、結局、秘密基地はしばらく閉鎖することになった。
 ジェイが帰宅したのは午前1時少し前だった。ジミーはソファで寝ていた。ジェイはいったん点けたリビングの照明を消し、スタンドライトを点灯した。パジャマに着替えてリビングに戻ると、ジミーは目をさましていた。
「お帰り。いつ帰ってきたの、父さん」
 ソファから起き上がり、欠伸まじりでジミーがたずねる。
「ただいま。遅くなってすまん」
 ジェイはジミーの肩を抱いてソファにかけさせ、自分も横に座った。
「ベッドに行く前に、ひとつ相談がある」
「いいよ、長くなければ」
「すぐに済むよ」
 ジェイは思いついたようにキッチンに立ち、水をグラスにつぎながら話しかける。つい先ほどまでティムと過ごした残り香をジミーに気づかれては、と席を外したのだった。
「来週の週末の予定なんだが、キャンプに行かないか?」
「バスフィッシングがいいな、ほら前にも行ったところ」
 父親の仕事がら週末に出かけることは滅多にない。ジミーは眠気が吹き飛ぶほど喜んだ。
「ああ、そうだな。そうしよう」
「ボートを持っていくでしょ?」
 家にふたり乗り用のボートがある。前回は持っていかずに後悔したからだった。ジェイが軽く咳払いをしながら答える。
「ジミー、実は連れて行きたい人がいるんだ」
 直感的にジミーは、それが誰であるか推察できた。
「・・・ティムだね」
「ジミー、聞いてくれ。ティムはいつもおまえのことを気にして・・・」
「いいよ、僕は」
 ジェイの言葉をさえぎってジミーはそう言った。
「父さんがそうしたいなら、僕は賛成だよ」
 ジェイはさらに話を続けようとしたが、ジミーが寝るからと二階に行くのをジッと見送るだけだった。
「シャーリー、君も同感してくれるだろ。ジミーにとってもう少しの間母親の愛が必要だということを」
壁に掛けられた若き日の自分と妻の写真に目を当て、ジェイはそうつぶやいた。

 翌日は木曜日だった。朝早くに家政婦のロンダがやってきた。朝食の支度を手早くこなし、いつものようにまずジミーを起こした。
「おはようロンダ」
 食卓に差し込む光に目を細めながら、ジミーは席にたどりついた。
「昨日は夜更かしだったの?」
 ロンダの大きな目の白目部分は肌の黒さでより強調されている。愛嬌のあるロンダの目で見つめられると、不思議に隠し事ができない。ジミーは両肩を上げて「イエス」のしぐさをする。ロンダはそれ以上の質問はしない。一日休暇をはさんでいるので、ロンダは冷蔵庫の中身を調べはじめる。
 ハムエッグパンをすばやくほおばると、ジミーは外に飛び出しガレージから自転車を引き出した。学校までは10分ほどである。ロンダがチョコアイスの残りを確認する前に出発したいのだ。ロンダの小言はときに長くなることがあるから。走り出したとき、ロンダの声が家から聞こえてきた。しかし、それはジミーではなく父親を呼んでいる声だった。
 一時限目の授業にリーの姿はなかった。休憩時間に入りリーを目で探しながら廊下に立っているとメアリーが近づいてきた。
「ハーイ、明日はパーティね」
 アイルランド系の血筋を濃くにじみだした顔に、いくぶん大人びた表情を浮かべている。あきらかにジミーにパーティの誘いをうながしているのだ。ジミーはこの間のキスシーンを思い浮かべてドギマギして言う。
「ああ、そうだったね。家族旅行の話があったんだけど、来週になったんで」
 今日まで誘わなかった理由をこじつけて、次の言葉を出そうとしたところでメアリーが言葉をはさんだ。
「じゃ、明日はフリーなわけね。迎えに来てくれる?」
 少々内気なジミーにとって積極的な女の子は似合いかもしれない。ただ、メアリーの積極さは自尊心の臭いが濃い。それでも惹かれてしまうのは、彼女の持つ大人びたフェロモンのせいだろう。ジミーも他にもれず思春期の男なのだ。
「OK、6時でいいかい?」
「待ってるわ」
 そう言って、一瞬キスの形で唇を突き出してからメアリーは歩き去った。ジミーの視線は自然に彼女の丸いヒップに落ちていく。
突然後ろから身体をぶつけられ、驚いて振り向くとリーが笑っている。ジミーはみだらな想像を見透かされたような気がして、どぎまぎしながら言った。
「どうしたんだい、今来たのかい?」
「パーティの誘い、うまく行ったみたいだな」
 リーはジミーの問いに答えずニヤニヤして言う。頬が紅潮するのを隠すようにジミーは歩き出した。
「まあ、誘ったというか誘われたというか、とにかく彼女とパーティに行くことにしたよ」
「じゃ、ダブルデートにしようか?」
「え? いつのまに彼女できたんだい」
「ま、やることはやる主義なんでね。そんなことより、朝からたいへんだったんだ」
 リーはジミーの腕を取ると、近くのドアから無人の教室の中に引き入れた。
「例のファイルが原因かどうかはっきりしないんだけど、ウイルスに感染しちゃってさ。ハードディスクを壊していくというやっかいなヤツなんだ」
「えっ? あのフロッピーの・・・」
「原因は特定できてないんだ。ひょっとしたらトロイ系かもしれないんで、あのファイルかどうかはわからない」
「おい、まずいよ。バックアップ取ったのは1ヶ月前だから、ハードディスクが壊れたらたいへんだよ。とにかく例のファイルは削除するよ。いいね」
「どっちにしてもリスキーな代物だから、ま、しようがないか」
 リーからウイルスの話を聞いて、ジミーは授業に身が入らない。午前中で早退にして家に戻ることにした。ここ1ヶ月の間、シャーリーのオートメッセージプログラムを改良していた。それらが消失してしまうと困るのだ。今年のプログラミングコンテストに出品するつもりなのだ。改良の大きなポイントは、オリジナルのAIを積んだことにある。

 センチュリー財団イースト・ワシントンDC遺伝子研究所。ワシントンDCの北部、閑静な企業団地の一角に一棟の白い建物を構えている。
 建物の3階、数ある研究室のひとつにティム・グレイシーのネームプレートが掲げられている。ティムの研究はラットを使った優性遺伝子の臨床実験データを収集することである。ティムは研究室から出るとエレベータで地下2階まで降りた。厳重なチェックを3度通り抜け、新たな部屋に入る。そこは、完全密閉された実験室である。ラット以外誰もいないことを確認すると、慣れたしぐさで宇宙服のような防護服に着替えたティムは、消毒室を抜けて冷凍保存室に入り何かを探しはじめる。壁一面に設置された棚には小さな引き出しがびっしり並んでいた。スライド式のハシゴを押して、ひとつの引き出しを慎重に引くと、冷気とともに10個ほどのカプセルが現れた。ラベルをていねいに調べ、そのうちのひとつを取り出した。部屋の反対側に歩いていき、手動で圧力式ロックを外して開いたケースの中にある固定装置にカプセルをはめこむ。再び手動でロックをすると、何事もなかったように消毒室で身体を洗浄し、再び白衣に着替えた。ティムは冷凍室側の壁に設置された1メートル四方のガラス張りの容器の前に立った。上下は機械類で固定されている。コントロールパネルの青いボタンを押す。すると、さきほどのカプセルが奥からスライドして容器の中央に運ばれてきた。次に赤いボタンを無造作に押す。上部から機械アームが降りてきて、カプセルを開け始める。そのとき、ドアの開く音がした。靴音が近づくのを聞きながら、振り向きもせずティムが口を開いた。
「ロジャー、食事は済んだの?」
「少しのんびりしてしまったよ。コーヒーをゆっくり飲みたくてね」
 ティムの助手のロジャー・バリントンが、カプセルのラベルを読もうと顔を近づける。
「お願い、あとでカプセルを戻しておいて」
「ラジャー」
 自分の名にひっかけて冗談まじりに答える。
 ロジャーは2年ほど前から助手としてティムの研究を支えているが、元々は同じ立場の同僚だった。3年ほど前に古い実験室で事故があり、ウイルスが漏れ出す騒ぎがあった。その頃はほとんど人間の手に頼る実験器具しかなく(財団からの予算の関係で)、ちょっとした操作ミスでウイルスを培養したガラス瓶を壊してしまった。密閉室の中であったので、部屋から漏れ出し人間が感染するという騒ぎには至らなかったものの、事故を起こした本人とラット200匹が汚染してしまった。事故を起こした当の本人であるロジャーは、すぐに消毒室で感染をまぬがれたが、1ヶ月ほど隔離された。実験室は数回に分けて洗浄されたが、以降は防護服での作業を余儀なくされ、研究の効率を著しく低下させてしまった。半年に一度、研究所から財団へ研究成果のレポートを出すことになっており、その事故および研究の進行状況は当然のごとく「赤いライン」の入ったレポートになってしまった。赤いラインとは、つまりヘッドの部分が赤くなっているレポート用紙で、次の予算編成のときに「要検討」とされてしまうのだった。早い話、研究が続けられなくなる可能性が高いということである。ロジャーは責任を感じて、3ヶ月後の契約更新時期に辞める覚悟をしていた。
 ティムはというと、自分の過失ではないにもかかわらず研究が続けられなくなるのに耐えられなかった。ティムには夫がいたが子供はいなかった。夫のバーナードはロボット研究では著名な科学者である。同じくワシントンDCにあるRIL研究所に勤めていた。ティムとは大学院時代に学生結婚をしていた。バーナードはティムが落ち込んでいるときに、不意に転職の話を持ち出した。コロラドに大きな研究施設を持つある大手企業からのヘッドハンティングの話だった。ついでに、バーナードは子供が欲しいと言い出した。ティムに家庭に入ってほしいということでもある。しかし、彼女はやっと一般の研究所で働けるようになり、研究半ばであきらめるのに抵抗があった。子供はいずれ欲しいと思う、しかし今はという気持ちが優先された。コロラドにはティムの研究を進められる企業も団体もない。歯車が突然にかみ合わなくなるように、そこから急激にふたりの愛情は萎えてしまう。そして、ふたりの間を分かつ決定的なできごとが噴出した。
 ウイルス漏れの事故が思わぬ結果をもたらしたのである。感染したラットの うち、50匹をそのまま観察していたのだが、1匹に予測しない変化が現れたのである。ウイルスによる遺伝子への影響を研究していたティムとロジャーにとっては、驚くべき兆候を見出したのだ。そのラットの兆候とは、体毛の生え替わりと成長速度が他のラットと比べ極端に速くなったことからはじまり、温度環境を変えるとそれに合わせ体毛の長さも変化することも突きとめた。さらには、皮下脂肪を調べてみると、驚いたことに外気の温度と調整するように脂肪率が短期間で変化することも発見したのだった。ティムは、ウイルスの遺伝子が細胞に影響を及ぼしたのではないかと推測した。その1匹のラットにのみ表れたということは、いわゆる突然変異の可能性がある。ラット細胞の遺伝子解析とともに、臨床ではそのラットの子孫を代々にわたり研究する価値は非常に高い。
 急きょ、赤ラインレポートに添付して、ティムは新たな研究課題と現状の成果を提出した。幸いなことに財団の多くの委員がティムの研究課題に興味を示し、破格の待遇を含め研究を認めてくれたのである。実験設備の大幅な改善もその待遇の一部だった。トップ技術の設備が地下倉庫を改築して配備され、ティムはプロジェクトの責任者として一介の研究員から主任研究員に格上げされた。ロジャーは過失責任を負ったものの、ティムの援護により継続して研究所に残ることができた。しかしティムとの立場は、形式上上司と助手に変わった。
 この状況変化により、ティムとバーナードは互いの道を進むことに決めたのだった。バーナードはコロラドに転居していった。ジミーの父親・ジェイがティムの前に現れたのは、その直後のことである。
「あ、それと日本から例のラットサンプルが今日届くと思うの。受け取っておいて。ついでに日本食ショップに適当に食材も注文して・・・」
「もう、注文済みさ」
 スピーカーからロジャーの声が聞こえた。すでに防護服に着替え終えたロジャーはヘルメットのマイクを通して答える。長い間仕事を共にしていて、こういうところの呼吸が合うのはうれしい。
 ティムは、コントロールハンドでウイルスを抜き取った注射針の位置を操作し、睡眠薬で眠らされたラットの腹部に慎重に注入する。注入が終わるとコントロールパネルの黄色いボタンを押す。それだけで、すべてオートマチックに元の状態に戻るようになっている。最新設備は、それを使う研究者に自信と優越感をもたらしてくれる。今思えば、バーナードの強引なコロラド行きも、少し理解できる気がする。

 ジミーは早退して家で昼食を取った。突然の帰宅にも、ロンダは理由も聞かずサンドウィッチを手軽に作って差し出してくれた。いつものダイニングではなくキッチンテーブルでジミーは食べた。向いの席にロンダが大きな尻を沈ませた。
「よほど急ぐことがあるようね、ジミー」
 例によって大きな白目がジッとジミーを見つめる。
「どうしてわかるの?」
「だって、いつもドアを開く前に裏庭へ行くのに、今日はまっすぐ入ってきたでしょ」
「あ、そうだった」
 言い終わる前にジミーはサンドウィッチを手に持ったまま立ち上がりキッチンを出て行く。ガレージから小鳥の餌袋を取り出し、裏庭に向かう。いつもの時間より早いので、さっさと餌を入れて戻ろうとした。ところが、聞きなれた小鳥の声が聞こえる。樹の上の方を見上げると、待ちかねたようにジミーを見下ろしているではないか。そして、もう一羽が近くの枝に舞い降りてきた。どうやら友達を連れてきたらしい。ジミーの様子をうかがいながら少しずつ枝を伝って一羽が降りてきて、その後をもう一羽が追いかけてくる。二羽とも巣箱に入ろうとしたとき、家の電話が鳴り出した。驚いて二羽の小鳥は飛び去ってしまった。
 家に入るとロンダが受話器を置くところだった。
「学校の先生からよ。具合はどうかと聞かれたわ」
「なんて答えたの、ロンダ」
 先生には頭痛がすると言って早退してきたのだった。以前に一度だけズル休みをしたときにバレたことがあり、こっぴどく怒られた記憶が思い出された。
「薬を飲んで寝ています、と言っておいたわ」
 ロンダは大きな目でウインクすると、真っ白な歯をのぞかせた。
「助かったよ、ありがとうロンダ。パパにお給料上げてもらうように僕からも頼むから」
 ジミーは、最近ロンダが手当てを上げてくれるよう父親のジェイに頼んでいる姿を目撃したことがある。ロンダは笑い声を上げながら、何言ってるのといった手振りをし、キッチンのドアを閉めた。

   パソコンの電源を入れ、ジミーは双眼鏡を壁から外すと窓辺に座った。小鳥たちの姿は古木にも空のどこにも見えない。シャーリーが完全に起ちあがり、メッセージウインドウが表示された電子音が鳴る。ジミーは双眼鏡から目を離し、それでも窓の外を見ながらメッセージに応答するキーを叩く。と、小鳥たちの声がし、二羽が巣箱から外の気配をうかがう様子が見えた。ジミーは小鳥に気を取られ、反射的にリターンキーを押した。
「あれ?」
 ジミーは画面に視線を戻したが、すでにオートメッセージウインドウは閉じてしまった。ジミーの目に残影として、いつもより若干長いセンテンスが表示されていたような気がした。「ハイ、ジミー、元気?」といういつものセンテンスのあとに「今日は」と表示されていた気がする。しかし、それはありえない。確かに時間の概念を入れた応答メッセージは考えていた仕様だけれど、そのテキストはまだ組み入れていない。
「バグかな?」
 単なる見まちがいか、バグの可能性もある。メッセージ・プログラムをチェックしたいところだが、それより、ウイルスチェックを急がなければならない。
 ジミーは気を取り直して、アンチウイルスのソフトを起動させた。他のソフトと相性が悪いのでふだんはアンチウイルス・ソフトはスタートアップしていない。見知らぬファイルを起動させなければ、基本的にウイルスには感染しないものだ。
 ハードディスクを順に調べていく。と、ファイルがひとつリストアップされた。リーの言ったとおり、例のハッカーのファイル名であった。インストールした昨日のファイルをすべて削除した。そのあとハードディスクに損壊があるかどうかチェックしてみた。幸いハードディスクには異常は見られない。おそらく時限付きの「トロイ」系ウイルスだったのだろう。リーの状況からすると、一日手当てが遅れていたら手遅れだったかもしれない。
 ジミーはひとまず胸をなでおろし、ハードディスクのバックアップ作業に取りかかった。メッセージ・プログラムのチェックは、また症状が起きてから対処しようと様子を見ることにした。


☆ロボット
 翌日、学校の授業は早めに終了した。学校行事である夕方のパーティ準備のためである。ジミーは一度しか袖を通していないスーツを選んだ。その一度というのは試着のときである。父親のジェイが公式の場で着れるものをと、3ヶ月ほど前の誕生日にプレゼントしてくれたのだった。襟の部分だけ藍色のラインが入った黒地のスーツは、童顔のジミーにとって少々背伸びした感は否めないが、それでも鏡に映した自分の姿に満足な笑みを浮かべる。
 メアリーの家までロンダが見送ってくれることになった。ちょうど帰り道でもある。車を降りるとロンダはウインクして走り去った。メアリーの家から学校までは、歩いて5分もかからない。 ドアベルを押してすぐにメアリーの母親がドアを開けた。
「こんばんは、ヘイウッドさん」
「こんばんは、初めまして、ジミー・・・と呼んでいいかしら?」
「ええ、もちろんです」
「メアリーはとても楽しみにしているのよ。もう、昨日からあなたのことばかり話して」
 ジミーはそれを聞いて、すこし意外な気がした。ふだんのメアリーから想像すると、家庭で自分の話題などほとんど出さないと思っていたからだった。メアリーが大きめのバッグを手にドア口に出てきたとき、さらに意外だったのはその服装である。大人びたドレスを想像していたのに、年相応のどちらかといえば可愛いフリルの付いたピンクのドレスだった。
「ハイ、ジミー」
「ハーイ」
 道に出て歩き出すまで、ふたりは無言だった。メアリーの母親が姿を消すのと同時にメアリーが口を開いた。
「これ、似合わないでしょ?」
「いや、そんなことはないよ。ピンクもお似合いだよ」
「あたしは気に入らないの。胸も開いてないし、子供染みてるわ。でも母親がムリにすすめるのよ」
「そう・・・そういえば少し子供っぽいかな」
 つい、メアリーの主張に合わせてしまう。
「いいの、実はこのバッグにもう一枚ドレスが入ってるの」
 メアリーは艶やかな視線をジミーに当てる。ジミーはぎこちなく手を広げ、へえ、そうなんだ、とひきつった笑顔で応える。

 パーティ会場の体育館は派手に装飾されていた。すでに大勢の生徒が雑談をしながらひしめいている。メアリーが着替えに行っている間、ジミーはジュースを飲みながら人ごみに目をさまよわせていた。リーは、まだ来ていないようである。舞台でバンド演奏が始まった。舞台近くではさっそく踊りだす者がいる。メアリーが入り口に現れた。ラメを散りばめた真っ赤なイブニングドレスを身にまとっている。しかも、胸は大きく開き、豊満なバストがはちきれんばかりである。ジミーはというと、目を見開いたまま呆然としてしまう。周囲の目を従えてメアリーはゆっくりとジミーの前に立つ。ちょうど横から割り込みが入った。隣のクラスの男である。
「こんばんは、ミス・ヘイウッド」
 ジミーの顔も見ずにメアリーに話しかける。名前はダグ・マクレガーという。すでに六フィートを超す身長で、体格もがっしりとしている。さらには頭脳明晰だという噂だ。すでに学校に入ってから数人の女性と付き合ったという。髪がテカテカと光り、香水の臭いでムッとさせられる。
「いっしょに踊らないか?」
「あたしの相手がそこにいるのよ」
 メアリーはつんとしてジミーに視線を移す。ダグは振り向いてジミーを一瞥し、また無視するようにメアリーに話しかける。
「結婚してるわけじゃないだろ? それなら僕にも権利はあるさ」
 ジミーは、大人びたダグの言いぐさにカチンとくる。メアリーの腕を取って連れ去ろうとするダグの肩をつかんだ。
「おい、君。メアリーのデートの相手は僕なんだ。ジャマしないでくれ」
 ダグは鷹揚な目つきでジミーを見下ろしながら言う。
「なんとかコンテストで優勝したジミーかい。いつもコンピュータとばかり遊んでいるそうじゃないか。人間と付き合うなんていつ覚えたんだ、え?」
「そんなこと君に言われる筋合いはないよ。問題は、デートの相手を勝手に連れていくなんて非常識だと言ってるんだ」
 そう言いながらもジミーの手はこきざみに震えている。
「へえ、そうかい。なら、どうするっていうのかな」
 ダグがさらにジミーに近づくと、ジミーの目はダグのネクタイしか見えない。メアリーが間に割って入った。
「ダグ、あんたって相変わらずね。いくらエリートでも失礼な男は嫌いよ」
 しばらくダグはジミーをにらみつけていたが、フイと身をひるがえして歩いていった。ジミーは乱闘を覚悟していたが、ダグが去ったので胸をなでおろした。いつのまにかダンスの輪が広がり、踊っていないのはふたりだけのようである。気をとりなおしてメアリーの手を取った。ダグに向かっていったジミーをメアリーは頼もしく感じたらしい。スローテンポのダンスの間、メアリーは潤んだ目でジミーを見つめていた。
 軽いアトラクションがいくつか行われ、パーティは終わりに近づいてきた。最後にメインイベントのアトラクションが催されるという。舞台横のドアにスポットライトがあてられる。進行役がマイクに立つ。
「さて、みなさん、最後のイベントです。驚かないでくださいね、我々の未来のパートナーのおでましです。お披露目役は、自ら製作した天才ダグ・マクレガー君です。では、どうぞ、クイーン・メアリー!」
 ドアから姿を現したのは、マネキンのような人型ロボットだった。どよめきの後に大歓声が上がる。後ろからヘッドマイクを付けたダグが手を上げながら歓声にこたえている。ロボットはブロンドの長い髪を付け、アロハシャツに床まで届くスカートを着せられているものの、歩行動作は人間にほど遠い。ダグが何かを言うとロボットが反応する。音声を認識して対応するようプログラムされているのだ。
 それにしても、クイーン・メアリーと名づけたのはダグなのだろう。ジミーはメアリーの様子を横目で見る。さきほどのメアリーのダグへの口ぶりで、以前に付き合っていたことは確かだ。ダグの執念を感じる。メアリーは他愛なくロボットに夢中である。
「さあ、パーティに乾杯しよう」
 とダグが言うと、ロボットは近くのテーブルからジュースの入ったグラスを手に持ち、それを高々と掲げる。ダグはさらに続けた。
「メアリー、君は黒服の紳士が好きだったね。ほら、探してごらん」
 ロボットは首を左右に振り、ジミーに目を止めた。近づいてくる。
「さて、黒服の紳士君はクイーン・メアリーのことをどう思うかな?」
 ジミーは、付き合いきれないという顔で隣にいる本物のメアリーにつぶやいた。
「おやおや、彼はロボットの女性などには興味ないそうだ。おまけに侮辱されたらしい。どうする、メアリー?」
 すると、ロボットが手に持ったグラスをジミーに向かって振り出した。中に入っていたジュースが飛散し、ジミーにふりかかった。観衆は大笑いして盛り上がったが、ジミーとメアリーはそのままパーティ会場から出て行く。ジミーを引きずるようにしてメアリーは出口まできた。近くで待ちかまえていたようにリーが声をかけた。ガールフレンドもいっしょだった。
「あいつ、嫌味なことをするもんだ」
 ジミーは首を横に振りながら怒りが収まらないという顔をする。
「どうだい、いっしょに食事でもしないかい」
 リーはガールフレンドを引き寄せ、そう言った。
「いや、メアリーを送って、今日は帰るよ」
 ごめん、と最後に付け加え、メアリーをともなって会場を後にした。
 帰り道、ふたりは無言のまま歩いた。さすがにメアリーも自分がもめごとの種になったことで、ジミーに言葉をかけられない。ジミーはというと、過去であっても一時期あんなヤツと付き合っていたメアリーを、少しうとましく感じていた。
 家の前まで来て、ようやくメアリーが口を開いた。
「ごめんなさい、ジミー。あたしのせいで・・・」
「いや、もういいんだ。せっかくのパーティなのに、途中で帰ることになってわるいことしたね。リーたちにも謝らなきゃ」
 いつもの影はひそめて、メアリーはうつむいたまま黙っていた。ジミーはそんな彼女に新しい魅力を感じ胸が高まる。しかし、抱き寄せるような勇気は出ない。そんな気配に気づいたのか、メアリーは顔を上げると薄く涙を浮かべた目で訴えるようにジミーの目を見つめる。ジミーはようやく自分から意思を表すことができた。顔を近づけ、そっと頬にキスした。メアリーの目が輝き、さらに求めるような素振りを見せたが、ジミーはそれだけで満足していた。
「そういえば、その姿で家に戻ってもだいじょうぶかい?」
 大きく胸の開いたドレスを両親が見てどんな顔をするか興味はあるが、自分も非難されるのではないかと心配でもある。メアリーは今気づいたというように驚き、静かにそこにいてと手で合図して裏庭に消えた。しばらくして、家を出たときの服装で戻ってきて、ドアの前で手招きする。ジミーがドアベルを鳴らそうとする手を押さえて、いきなりメアリーはジミーの口に唇を押しつけた。さきほどのしとやかさは消え、強引でませた彼女の顔が不敵な笑みをたたえている。
 母親と父親がそろって現れ、メアリーを迎えいれた。笑顔であいさつした後、ジミーはそのまま帰宅の途についた。ドアの閉まる前にさりげなくウインクしたメアリーの笑顔とロボットのメアリーを思い出しながら。

 窓辺で双眼鏡を覗き込みながら、ジミーはぼんやりと過ごしていた。土曜日は一日中本を読んで過ごし、日曜日の今日は朝から窓辺でまんじりともせず景色を眺めていた。父親のジェイが部屋に入ってくる。昨夜も遅くに帰宅したので、顔を合わせるのは3日ぶりのことだった。 「やあ、ジミー」
「ハイ、パパ」
 ジェイはジミーの横に座ると、双眼鏡を受け取って窓外を眺めるしぐさをしながら話しかける。
「パーティは楽しかったかい?」
「まあまあ」
「そうか。前に話していた確か・・・メアリーを誘ったのかい?」
「うん」
 その名前を聞くと、先にマネキン・ロボットの顔が浮かぶ。おまけにダグの不敵な笑みが思い出され腹が立つ。単に侮辱されたからという理由だけでなく、昨日からうつうつとロボットに組み込まれたAIシステムに対し、劣等感に近い感情が湧いてきているのだった。端的にいえば、ジミーのオートメッセージ・システムなど、そのAIシステムに比べると足下にも及ばない。つまり、ダグは自分より優秀だということになる。そのことがたまらなく悔しい。
「ねえ、パパ。今のロボット技術ってどのくらい進んでいるかわかる?」
「そうだなあ、ロボットの種類にもよるけど・・・」
「人型のロボットについては? ほら、データみたいな」
 昔の『スタートレック・ネクストジェネレーション』というテレビ番組に登場していた人物の名を挙げて聞いた。まるで人間そのものといっていい造りのロボットである。
「あそこまで行くにはまだまだ時間がかかるだろうね。民間用の分野では、今のところ日本が最先端技術を持っているようだが、我々の国も研究は盛んだよ。あ、そうそう、今度ロボット研究所を取材するんだが、見学ならできるかもしれない。興味があるなら頼んでみようか?」
「何という研究所なの?」
「えーと、確かRIL研究所というところだ」
「そこでは人型ロボットを研究してるの?」
「詳しいことはまだ調べていないけれど、そうであれば見たいかい?」
「うん」
「よし、わかった。しかし、ウイークデイになるかもしれないなあ」
「授業は・・・リーにノートを借りて何とかするから」
 ジェイはしかめ面を強調したあと、こぶしでジミーのあごにパンチを見舞う真似をする。ジミーもボクシングスタイルに構えてふざけ合いになった。ジェイはジミーが十歳になるまでは会社側の配慮もあり家にいることが多かった。しかし、以降は仕事中心の生活になっている。一人っ子のジミーはパソコンにのめりこんだ。こうしてふざけ合うのもひさしぶりである。ジェイは構えた手を下ろすと、ジミーの肩を抱いてソファに座りなおす。
「夏休みだけど、おばあちゃんの牧場で今年も一ヶ月ほど過ごすかい?」
「そうだなあ、コンテストに出すプログラムの時間が欲しいから、今年は二週間くらいかもしれない」
「それじゃ、プログラムを早く完成してほしいな。牧場に行く前にキャンプに行こう」
「やった! ほんとう?」
親子水入らずのキャンプは二年ぶりである。ジミーは記憶をめぐらす。
「ねえ、前に行った沼がいいな。また釣りがしたい」
「OK、そうしよう。でもボートはどうするかなあ・・・」
「持っていこうよ、ボートがないとポイントに行けないじゃない」
「うん、それはそうなんだが・・・」
「何かまずいことでもあるの?」
「いや、まずくはないんだが、二人乗りボートだと誰かひとり」
 ジェイが言い終わらないうちにジミーは気づいた。
「そう・・・ティムもいっしょなんだね」
 自分でも理解しているはずなのに、ティムのことになると気持ちが沈んでしまう。
「ジミー・・・・・・聞いてくれないか」
 いつまでも中途半端な状態をつづけることは、ジミーにとってもティムにとっても良くないことである。そろそろ自分の気持ちを明かす時期だと感じている。決心して話しだそうとしたとき、ジミーが口を開いた。
「パパがティムを好きなことは知っているさ。だから結婚してもいいよ」
「ジミー、パパにとっていちばん大事なのは、おまえだよ。だから、おまえの気持ちに反することはしたくない。でもね・・・」
「わかってる、わかってるんだ。パパの人生はパパのものだし、僕も子供じゃない。ただ、ティムと会うとママのことを思い出してしまうんだ」
 ジェイは苦しげなジミーの表情を見て、言葉を飲み込んだ。もう少し時間をかけようと思う。

 数日後の水曜日。新聞社のオフィスの窓から、ジェイは整然と立ち並ぶビル街の景色を眺めていた。夏が近いここワシントンDCでは、夕刻でも真昼の明るさである。電話が鳴り、ジミーが訪れたことを告げられる。取材のアポイントが午後五時になったことで、ジミーは授業を終えてから父親の会社に来れた。オフィスからRIL研究所までは車で三十分ほどである。
 さすがにロボット研究所だけあって、車用ゲートは無人で、機械に向かって自分の名前と訪問先の担当者名を告げるとゲートが開く仕組みになっていた。受付のある建物はこぢんまりとして、ロビーには数機のロボットが展示されているだけで、閑散としていた。大研究所のイメージからはかけ離れている。受付をすませロビーでしばらく待つ。十分ほどで現れたのは小柄で額がそりあがった白髪まじりの男だった。白衣を着ていなければ、町の浮浪者と見間違われてもおかしくない風貌である。ダン・クローフォードと男は名乗った。ジェイはジミーの見学の許可を感謝し、取材の目的を簡単に説明した。ティムからの依頼で無理にスケジュールを空けてもらったわりには、ダンは気さくで、むしろ取材を喜んでいるようにも見える。ジェイとジミーはダンの案内で建物の裏手に出る。そこにゴルフ場にあるようなカートが停められてあり、ダンはふたりを乗せ慣れた手つきでボタンを操作する。カートには驚いたことにハンドルがついていない。つまり、これもロボットなのだった。
 さきほどのこぢんまりした建物は、実は受付と応対室だけだった。カートの行く手には巨大な建造物がH型に広がっていたのだ。カートは自動開閉ゲートをすり抜け建物に吸い込まれていく。
 案内されたのは試作品のテストが行われる工場の一角だった。周囲のみ二階構造で、ぐるりと廊下づたいに一周できるようになっている。側面はガラス張りで、工場内部を見渡せる造りである。研究の成果をクライアントや見学者に見せるための構造だろう。ダンは端からロボットの説明を始める。ガイドのような口ぶりで、笑みを絶やさず話し続けていく。下に見えるロボットたちは、いかにも機械そのものという形から人型までさまざまだった。ジミーはすべてに興味をそそられるが、やはり人型ロボットに注目していた。
 ジェイはダンの話をさえぎって、研究所の規模や目的などを聞き始めた。ひとつひとつのロボットの解説より、記事としては研究の目的や将来性などを知りたいのだ。するとダンは、それならと事務方の管理職の人間を紹介してくれるという話になった。近くの電話で連絡を取ると、別棟に案内すると言った。ジミーがこの場に残り見学していたいとジェイに言うと、ダンは下で作業をしていた同僚を呼び、相手をしてくれるように頼んでくれた。マイクという名の研究員で、ジェイと同年配くらいである。ジェイは1時間ほどで戻ると言い、ダンとともに工場から出ていった。
 マイクの専門を尋ねると人型ロボットだという。ジミーは、ちょうど知りたいロボットの専門家に会えたことを内心喜んだ。マイクが気軽に話しかけてくる。
「君はロボットの語源を知ってるかい?」
「いえ、ロボットについては調べ始めたばかりで」
「もとはチェコスロヴァキアの作家でチャペックという人の造語なんだよ。複雑で精巧な機械装置に人工知能を吹き込んだ自動人形、つまり人造人間のことをいうんだ。もちろん、人の形をしていない産業用機械装置もロボットの一種ではあるけれど、日本のペット型や人間の形をしたものが最近ではロボットと呼ばれている」
「その人工知能は、今どれくらい進んでいるんですか?」
「ふむ、AIは最高機密レベルの話で詳しいことは言えないけどね。とにかく人間の思考に近づけるという目標を持って世界中で競争しているのは確かだね」
「たとえば音声によるインターフェイスが取れて、しかも人間のように考えて行動するというのは?」
「ほほう、どこかで見たのかい? それともダンが何か説明したのかな? 十年ほど前からその技術は研究されていてね、今日ではかなりのレベルになってる。今、下のフロアで動かしていた人型ロボット試作品は、まさしくその最先端の技術が応用されているものなんだよ。ま、言ってみれば人間の3歳程度の知能はあるといえるだろうね」
「学習能力はあるんですか?」
「そうか、今は君くらいの歳でもニューラルネットワークの意味くらいは知ってるんだね。ロボット工学の未来は明るいな」
 そう言って、マイクは高笑いする。
「ところで、君はどこの学校に通ってるんだい。ちょうど家の息子と同じくらいなんだが」
「ウエスト・ワシントン・ジュニアハイスクールです」
「おお、こりゃ驚きだ。息子と同じ学校じゃないか。ダグ・マクレガーは知ってるかい?」
 ジミーは一瞬凍りついた。まさか、と思ったが、すぐさま理解した。父親がロボット研究者であれば、先日のパーティでのロボット・メアリーの出現もうなづけるのだ。
「ええ、名前は知ってます。クラスが違うのであまり話したことはありません」
 親に向かって、ダグは恋敵であるとも言えない。しかも侮辱を受けたなどとは。ダグは決してほめられた性格とは思えないが、父親であるマイクはふつうの紳士であり、すぐれた研究者であると思う。
 ちょうど、取材を終えたジェイが姿を現した。マイクにこれ以上ダグのことを聞かれたくないところだったので、ジミーは胸をなでおろした。

 ジェイの運転する車の中で、ジミーはロボット・メアリーを造ったのはダグではなく、父親のマイクではないかと疑念を感じていた。もしすべてでないにしても、父親の研究そのものであれば、父親が関与していないわけはない。天才だともてはやされるダグの鼻をへし折ったような気分で、胸のつかえが取れる思いだった。
(あいつだけには負けたくない)

 夕食はついでに外で済ませた。車は夕闇にそまる町並みを外れ国道に入る。ふだんも車の通りは多くない森の道だが、この時間はさらに少ない。車のヘッドライトをアップにすると、まっすぐな国道が暗闇に浮き上がり、このまま知らない世界に入り込んでいくような錯覚をおぼえる。遠くに青い灯火が見えた。町の入り口付近である。近づくと、それは警察による検問だった。どうやらこのあたりはにわか雨が降ったらしい。窓を開けると木と雨のムンとした臭いが車内に流れこんでくる。警官がのぞきこむようにしてジミーたちを見る。
「この町の方ですか?」
「ええ、住人です」
 免許証を出そうとしたジェイに警官は要らないというように手で合図した。出入りをチェックしているのではないようだ。
「実は、2時間ほど前に通報があり、町の中へ熊が迷い込んだようでしてね」
「そうでしたか。ここ数年はなかったのに。で、捕まりそうなんですか?」
「いま捜索中ですが、暗くなったので難航してまして。こうして注意を呼びかけているところなんです」
「わかりました。とにかく家の前までは車を降りないようにします。ありがとう」
「家の戸締りにも充分気をつけてください。明日の朝、警察の方から何らかのアナウンスメントが出る予定ですので、指示があれば従ってください」
「わかりました」
 ジミーは警官とジェイのやりとりを聞いていて気が気ではなかった。この間の熊が迷い込んだのではないか? もしそうだとすれば、自分に責任がある。ジミーは想像をめぐらし、警官から目をそらせて緊張していた。
「だいじょうぶさ。すぐつかまるよ」
 車をスタートさせながら、ジェイはジミーの不安そうな横顔を見て話しかける。ジミーは黙ったままうなづいた。
「ロンダはどうしたかな? あの大きな目と尻を震わせていたかもしれないな」
 ジェイはひとりごとのように軽く冗談を言い、笑う。つられてジミーも吹きだしてしまった。ジェイには秘密基地のことを話しておくべきかもしれないが、リーとの約束を破るわけにはいかない。熊が早く捕らえられることを願った。

 翌日は朝から土砂降りの雨になった。警察の宣伝カーが町を徘徊し、住民に車以外の外出は禁止するよう呼びかけていた。まだ熊を捕獲できないのだ。学校は休校になった。ジェイはジミーにくれぐれも注意するよう言い置いて家を出た。ロンダは休養日なので、家にはジミーひとりきりである。
 朝食をとり終え、しばらくテレビを眺めていた。あくびが出始めたころ、電話がけたたましく鳴り響いた。
「ジミー? あたしメアリー」
 受話器の向こうでため息が漏れた。昨夜も電話をかけてきたという。誰も出ないので心配してくれていたらしい。
「ごめん、きのうは父さんと外出してたんだ」
 ジミーは、ロボット研究所を見学したこと、思いがけなくダグの父親のマイクと出会ったこと、マイクの専門が人型ロボットの研究であることなど、脚色せずにそのまま事実を話した。メアリーもロボット・メアリーの出所に疑問を感じたのだろう。父親の創作に違いないと言いはじめた。想像で決めつけるのはよくないとメアリーの言葉を遮ったが、内心ジミーも同感ではある。週が明けてから、そういえばメアリーとゆっくり話す機会はなかった。とはいえ、共通の話題は学校のことだけなので、クラスの違うメアリーとはほとんど話が合わない。少しの沈黙が流れたとき、ジミーの網膜にふとメアリーの薄いピンク色の唇が浮かんだ。振り切るように適当な話題を持ち出す。
「ところで、夏はどこに行く予定?」
「きっと、またマイアミだと思うわ。ママの親戚がペンションをやってるの。休暇といってもお手伝いさせられるからアルバイトみたいなものね」
 ジミーが祖父の牧場の話をしようとしたところで、メアリーに用事ができたらしい。また明日ね、と唐突に電話を切られてしまった。
 受話器を置くと、しばらくメアリーの容姿を思い浮かべながらソファーに寝そべっていた。突然ロボット・メアリーの映像に変わり、パーティのことを思い出す。人を見下ろすようなダグの不敵な面と得意満面の笑み・・・しかし、それは虚飾の栄光に過ぎないのだ。あのAIは父親であるマイクの研究成果であり、ダグの創作ではない。思い起こすごとに疑念は確信に近づいていく。外の雨脚は衰えずに屋根を叩いている。いつのまにかジミーは眠りに落ちていた。
 昼を過ぎたころに電話で起こされた。マイクからだった。

 (つづく)



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